2012年7月28日土曜日

『孤独の発明』「見えない人間の肖像」

ポール・オースターの『孤独の発明』の前半部「見えない人間の肖像」は、オースター自身の亡き父をめぐる思索であり、回想であり、その不可視の人物をなんとか理解したいという試みである。自己の中に退却し、息子にも、世界にも決して自分をさらけ出すことのない父。
この本をかつて読んで、これは自分の話だと思っていた。もちろんこの作品の中で綴られる父の家系の秘密みたいなエピソードはぼくの父の歴史にはない。それでも、息子に関心を示すことのないオースターの父親のエピソードに、ぼくは気難しく無口で息子を決して褒めることのなかった自分の父親の姿を重ね、これは自分の父であり、自分の物語であるような気がしていた。
しかし、それは間違いだった。ぼくの父はほかならぬぼくの父であり、ぼくの父の死はほかならぬぼくの父の死であった。死というのはあくまで個別のもので、似ているとか近いとか、そういうもんじゃなかった。

6月23日に父が死んだ。突然のことであった。なんの病気もなく、なんの前兆もなく。趣味のウォーキングから帰り風呂に入った父はそのまま風呂場から出てこず、母に発見された時には息絶えていた。あらかじめ巻かれていたゼンマイが切れてしまったかのように、父の生は終わった。73歳。それはただの数字だ。なんの意味があるのか。わからない。父の死も、そして父の生も。

順番である。親は子より先に死ぬ。そんなことはわかっている。いつか来るもんだとは思っていた。しかしいざそれが来てしまうと、自分があまりにそれに対して無防備であったことをいやというほど思い知らされた。

  生と死というのは地続きだ。生きていたものが、あるふとした瞬間に死に変わる。

遺体と対面し、動かなくなった父に話しかける。亡骸とともに一晩過ごし、そのうちに遺体は遺族にとって「人」からだんだん「モノ」になっていく。ぼくらは死に慣らされていく。
モノになった遺体を焼き、葬儀を行い、慌ただしさの中、そして久々に会う母や姉弟、甥っ子姪っ子が一堂に会す珍しい機会、その非日常性がもたらす躁状態の中、悲しみや喪失感が訪れては紛れていく。ぼーっとしたまま時が流れていく。

ひと月が過ぎ、いくらか正気に戻ってみると、父の死をいろんな出来事の時間的座標軸にしている自分に気づく。「そうか、あのときはまだ父が生きていたんだ・・・」


父はぼくにとって世界でもっともわからない人物であった。なにか自分の世界にこもったようであり、たぶん息子のぼくにはあまり関心がなかったのだと思う。なにせあまり心配された記憶がない。それはぼくの人生が順風だったというわけではなく、父が自分の安全な世界の外側にある不安を自然と避けていたからではないかと思う。だからぼくが何か失敗すると父はいつもひどく不機嫌になった。そのことでぼくは何度も傷ついたし、父とケンカもした。それでもわかりあうことはなかった。

きっとこの先もずっとわかりあえることはないのだと覚悟していた。父は父の人生、ぼくはぼくの人生を全うすればよい。 しかし、いざそれがもう避けられない事実になってしまうと、どうにも辛い。やりきれない。

ぼくの父の死とオースターの父の死は違う。それでも、この人が書いた一節にぼくはいま、これまでになく共感している。

父は見えない人間だった。他人にとって見えない人間、おそらくは自分自身にとっても見えない人間だった。父が生きているあいだ、私は父をさがしつづけた。そこにいもしない父親を探し求めた。そして父が亡くなったいま、私は依然、父を探しつづけねばならないと感じている。死は何も変えていない。唯一のちがいは、時間がなくなってしまったことだけだ。

  時間がなくなってしまった。突然に。なんの予告もなく。途方に暮れるしかないではないか。