2013年10月8日火曜日

第11回弘前・白神アップルマラソン

 盆や正月はなかなか帰省できないので墓参りを兼ねてのアップルマラソン参戦。

 9月頭に足底筋膜炎になって以来ずっと足裏の痛みが続き3週間走れずにいたもんで、リタイアせずに無事走れるか心配。足の裏の痛みはだいぶ治まったが、走ってるうちにまた痛くなるかもしれんし、走るの禁止だったからふだんフルの前には必ず2回くらいやる30キロランもできないまま。この一ヶ月で走った最長距離は12キロである。でも、飛行機も取っちゃってるし、もはや走るしかないんである。

 土曜の朝、アトム氏を妻に託して出発。空路は順調。着陸直前ふと隣の席のおじさんの腕時計が目に留まる。オレンジ色のボタン。これはランニングウォッチ?足元を見るとアシックスのニューヨーク。間違いない。話しかけてみる。やはりランナーであった。しかし話し込んでみると「ランニングはマラソンまで?」と聞かれるので「?」と思いながら聞いてみると、この東さんというお方、68歳のウルトラマラソンランナーであった。しかも、一般的にウルトラって100キロだと思っていたが、東さんは最長320キロのウルトラを完走したこともあるという。うひゃー。フルの8倍。想像もつかん。弘前にお孫さんがいるってので参戦しているそうだ。こうやって県外から人が来てくれるのはいいことだ。

 空港まで迎えに来てくれた母と姉と合流し、中華そば食べて、弟一家も一緒に墓参りへ。第一目的完了。実家で晩飯。甥っ子二人に乗りかかられつぶされる。1年前よりだいぶ重くなったな。

 レース当日、朝起きてごはん2杯に工藤パンの「イギリストースト」。なつかしの。昔よく食べた。甘いんだ。でもうまい。

 会場に着き、FBで再会した高校の同級生が主催する弘前公園RCにご挨拶。お三方と再会。高校卒業以来である。このチーム、おそろいのピンクのTシャツなので目立つ。すごい人数。

 パワーバー一本食べてさらにジェルを一個。先日Whole Foodsで買ってきたvegaというのを食べたのだが、これがチョーまずい。味噌みたいな味である。気持ち悪くなる。その影響かレース用に仕込んだジェル3本は結局ひとつも食べなかった。

 このレースのいいところは受付が7時からでスタートが9時で、そんなに早く集まらなくてもいいってことだ。

 一番後ろから9時スタート。
 
 足裏が心配なのでゆっくりキロ6:30ペースで入る。問題なければ5キロくらいからキロ6:00、5:30くらいまであげれば4時間くらい。そんなによくなければイーブンペースでファンラン。どうしても痛くて我慢できなくなったらリタイア。そんなレースプランであった。
 走り出してみると足裏は痛くないのだが体が重い。6:30だと普段はかなり抑えたペースなのだが、どうもいっぱいいっぱいなかんじ。これはもうゆっくりファンランだと思い直して、沿道で応援してくれるおばあちゃんらに「ありがとー」と手を振り走っていく。ほっかむりをしたおばあちゃんが並んでいる光景はなかなかかいらしい。
 5キロくらいから足裏が鈍く痛む。なんかぶんにょりとした痛み。うーん、考えない考えない、と気にしないよう心がける。
 なかなか10キロに着かない。長い。いつになく長い。なんかいやだなー。
 10キロ超えて、そういえば中学の同級生和也くんが折り返し付近でコース整備スタッフをしているというのを思い出し、再会をを楽しみにがんばる。が、そう思ってすぐ、16キロくらいのところで発見。喜びの再会。しかし折り返しまであと4キロもある。ので、今度は折り返してまたここに戻るまではがんばろうと新たな誓い。
 無事折り返して、そのあたりはまだ気合いが入っていたのだが、また和也くん地点まで戻ってしばらく行って30キロを越えた頃、もうペースもなんもなくて、GPS見てみるとキロ7:30とかである。足の裏は痛いし、走り込んでいないせいか太もももぱんぱん、乳酸が出まくって体が固まってる感じ。肩も背中も痛い。しばらく歩いてしまう。
 序盤飛ばしすぎて足がなくなって潰れて歩いたことは最近でもあるが、このスピードでしんどくなって歩いたのはたぶん初めてのフルの時以来だ。でも痛いんだからしょうがない。エイドで水をごくごく飲み、歩いたり走ったり。このあたりはもう死屍累々で、歩いてる人がいっぱい。
 ただ、歩いてると当然ながらゴールが遅くなる。タイム云々ではなく、もうはやくこの苦行から解放されたいのに、はやく解放されるためにははやく走らねばならず、ゆっくり歩いていてはいつまでも解放されぬというジレンマ。ああ、つらい。
 しかししばらく歩いたらちょっと楽になってきて遅いながらも走り出す。キロ7分くらい。たぶん体が硬くなっちゃって歩幅も狭く運足もゆっくりになっているのだろうが、もうこれ以上はムリなのである。それでもそのペースで最後5キロくらいは歩かずに走れた。
 ゴール1キロ手前くらいで姉が沿道で応援してくれ、最後400メートルくらいでは用事を済ませて駆けつけた弟も応援してくれてパワーアップ。なんとかゴールにたどり着きました。

 こんなしんどいレースはなかった。タイムはなんと4時間56分。今までの自己ベストが3時間41分で、「次はサブ3.5を目指そう!」なんて思っていたのに、人生12回目のフルマラソンでなんとセカンド・ワーストである。あとで帰宅して調べたら、2009年にはじめて参加して死ぬほどしんどくて歩きまくった最初のフルマラソンよりもさらに10分遅い。なんてこった。

わかったこと。

・練習してなくてもフルマラソンはなんとか完走できる。
・でも、そのぶんモーレツにしんどい。
・ゆっくり走るファンランは、走力のある人がゆっくり走るからファンなのであり、走力のない人がゆっくり走るのはただの「遅くて過酷なマラソン」である。
・1シーズン休んだら、ワタシの走力はふりだしに戻ってました。

 次のレースは11月の福知山の予定であったが、これが先日の台風の被害で中止になった。しばらく休んで足裏を治してから、ちゃんと距離を踏んで足を作り直そう。2月の泉州国際と3月の篠山では自己ベストを狙いたいけど、間に合わなければがっつり走るのは来シーズンでもしゃあないな。

 ゴールでリンゴをもらってかぶりつきながら、ステージで川内選手を迎えた抽選会を見る。ふだんのレースでは人数が多いのでこういうイベントはあまり見ずにとっとと着替えて帰るのだが、今回は人数も少ないしゆっくり見れました。シューズが壊れたのでシューズあたんねえかなぁと思っていたけど当たらず。

愛着のあったNike SpeedLite。破れてもうダメ。
 荷物預かり所にボランティアで来ていた母から原チャリを借りて桜ヶ丘温泉へ。小学生の頃、ここの近くに住んでいて、何回か来た記憶があったのだ。ノスタルジックな旅である。何度か改装もしているのだろうが、やはり古くさい銭湯で、でも温泉の硫黄の香りが心地よく、高い天井を見て「ああ、こんなかんじだったような気がする」。

 うちに戻って着替えて高校の友人たちとの会食へ。実家に帰っていつも困るのは足がないことである。もう自転車もないし、母一人の実家には車がないし、あっても車だと飲めない。原チャリもしかり。タクシーか、と思っていたところに友人から電話。車でむかえに来てくれると。おお、ありがたい。そういえば大学生の頃帰省した際、飲んで原付で2ケツしておまわりさんに叱られたことがあったっけ。大人なのでもうそういうことはしないのだ。

 5人でメシ。みなさん立派になった。同じ時を過ごした仲間が25年たっても集まれるってのはほんとありがたい。昔のアホな話、同級生の消息、今の仕事のこと、家庭のこと。自分の中の座標軸はここにあんのかなあなんて思った。

 2次会は3人でちょっとだけ飲み、翌日普通に仕事がある2人に気を遣ったというよりは、自分の体のしんどさと眠気のためはやめにお開きにしてもらう。

 翌日には中三で味噌ラーメン食って、りんごとりんご酢おみやげに買って大阪へ。

岩木山の頭と下が雲の中。
飛行機ついたら夕方5時半なのに29度!夏かっ!